【人に何かを与えられる人なんて、一割にも満たない。】
【「自分の成長過程を見せること」=「与えられること」の一つだよ】
っていうお話。
みんなのお悩み
最近、いろいろなサロンやコミュニティに所属していて、思うんだけどね。
インフルエンサーやリーダー格の人って、やたら「くれくれちゃんにならないように!」って釘をさすんだよ。
つまり、「自分が何かしてほしかったら、先に与えるべし!」ってことなんだけど、みんなハタと気づくわけ。
自分は、人に「与えられるモノを、何も、もっていない(涙)」
彼らが言う「先に与えろ!」は正しいし、ベストだと思う。
でもさ。いま、与えられるものがある人って、どれくらいいるんだろう。
私、思うんですが、
先に与えろ!と言う人たちってのは、結果的に、今、「何かを与えられるようになった人」であって、初めは「何も持たない人間だった」ことを忘れているんだと思うの。
だいたいさ。
コミュニティに入って勉強したいっていう人は、「何者かになりたい・新しい自分になりたい」と思っている人が多くて、「意識高い系の、【くれくれ】せざるを得ない人たち」が多数。
すでに何かを持っていて、人に与えることができる人は、一割いるかどうか、多くても二割弱くらい。(コミュニティによる)
そうすると、「何もできない自分」「クレクレせざるを得ない自分」と「すでに与えるものがある人たち」を比べちゃって、自己嫌悪に陥っちゃうんだよね。
私はこの現象を、「クレクレ禁止コンプレックス」と勝手に命名。
4月末から3週間、これで悩んでいて、サロンからしばらく遠ざかっていた。
自分はデザインやSNSが得意ではないし、何かの専門知識はない。
仕事が人より、できるわけでもない。
キャパシティは、一般人の半分以下。
体も弱い。
与えようと思えば思うほど、悩んだ。
「誰かが求める自分」になろうとしちゃって、苦しんだ。
【自己成長が生きる糧】である、意識高い系の人間が「クレクレ禁止」されると、追いつめられる。
自分が得意なことだと思っていたことでも、サロン内に、自分よりもできる人が必ずいるから、与える意識が高いほど、逆に凹む。
で、私はあるとき、「クレクレちゃんに徹する」ことに決めたんです。
胸をはって、「クレクレ」していこう。
そう決めるきっかけになったのは、はあちゅうサロン内でのこと。
サロンメンバーに、Twitterプロフの書き方をアドバイスしている人がいて、それを参考にプロフを書き換えたのね。
【よめはなさんのブログ↓↓】
ツイッタープロフィールを書くにあたり意識したこと!【3000字超え】
アドバイスのおかげで、プロフが見違えるようによくなった!
それで、アドバイスをくれたよめはなさんにお礼を言って、プロフのbefore-after画像を載せて、参考にさせてもらったブログを、みんなにシェアしたの。
そしたら、よめはなさんが喜んでくれて、メンバーからの反応もよくて、うれしかった(^^)
そこで気づいたのが、
【わたし自身が何かを与える】よりも、
【人から与えられたことを通しての、実践と結果報告】への反応が、大きいということ。
そのとき、思ったんです。
何も持たない人は、
- 「素直に、何もできない自分をさらして」
- 「無理に与えることをやめて、クレクレできる状況をありがたく受け止め」
- 「くれた人に感謝して、それを身につけ、結果を出す。」
- 「成長過程は、誰かのためにシェア。」
- 「そして、いつかはオリジナルの何かを還元できる人になろう。」
この成長過程が、【待たない派の「与えることの一つ」】になるんじゃないかと。
大切なのは3と4!!そしていつかは、5!!
クレクレちゃんで問題なのは、感謝もせずに持ち逃げしている人なんだよ。
「自分の成長過程」=立派な「与えられるもの」
何も与えられるものがないという私みたいな人は、「自分の成長過程」が=立派な「与えられるもの」、だという認識を持ったほうがよい。
そして、与えてくれた人に感謝し、胸をはって「おかげさまで、成長できました」という過程をシェアしたらいいんじゃないのかな。
「ヒトは、『他人の成長に、興味がある』」のです。
例えば、はあちゅうサロンでは、「スターをだすこと」がサロン目標としての一つなのだけれど、全力でクレクレした結果、それを肥やしに自分がいち早くスターになって、サロンに還元できたら、それもまた、一つの「与えること」になるのではないでしょうか。
たとえ、失敗したとしても、誰かの成長過程やその失敗は、サロンの大きな財産になる。
サロン内に還元できなくても、社会のほかの誰かに還元できてもまた、「与えること」の一つだと思う。
ということで、私は無理に自分の「すべきこと探し」はやめて、「やりたいことに徹し、周りに貢献していくこと」にしました!!っていうお話でした。