「いらないモノはいりません」と胸をはっていえる世の中にしたいゴトーです。
最近、コンセプトを<アイセレ→選びスト>のときに言っていた、「選びたいので、そのほかのモノはいりません」というミニマリスト寄りのコンセプトから、「慮サプレ」(サプライズプレゼントはご遠慮します)に方向転換して、進めています。
で、どうやって、この概念を広めるべきかと、詳細を検討するなか、ここ数日、ある課題に気が付きました。
それは、世の中には、
✅「うれしいサプライズ」
✅「うれしくないサプライズ」
があるということ。
当たり前のことなんだけれども、ここを細分化して考えていなかったことに、気がついた。
先日、
●シャンプーハットのてつじさんからいただいた、コテコテのトラ柄上下セットhttp://gotoyoko.com/goto-yoko/goto-kakumei/464/?preview=true
これは、すでに十分な衣類を持っている私には、元来「必要なかったモノ」だけれど、「もらって、とてもうれしかったモノ」。
昨日、はあちゅうサロンの定例会で配られた、
●一人ひとり、違う文字が書かれた扇子(書道家さん作)
これは、既に扇子を何本も持っている私には、元来「必要なかったモノ」だけれど、「もらってうれしかったモノ」。
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もちろんこれは、たまたま私にヒットしただけであって、もちろん、上記が「絶対にいらない」という人もいる。
サプライズプレゼントが、自分にヒットする確率は、だいたい1/30くらい。
まぁ、つまりは、めったいない。
自分にとって、基本的に、「サプライズは、自己満足の押し売り」と定義しているけれど、まれに、うれしいと思えるプレゼントもある。
というか、モノというか、もらうヒトにもよるんだよなぁ。
同じモノでも、この人からはうれしくて、この人からはうれしくない、とかあるよね・・・
迷惑なサプライズプレゼントとは
ちなみに、私が止めたい、自分にとって迷惑だと感じるサプライズプレゼントというのは、
【自分の場合】
✅「お礼」と言われてよくもらう、無難な「何か」。
(特にタオルとコップ類が、どんどん増える)
✅旅行先で買ってきた、「謎の置物」。
(あなたの思い出を、なぜ飾らねばならないのか)
✅生クリームが苦手なのに、サプライズで出てきた「ショートケーキ」。
(うれしいフリをして、笑顔でたべなきゃいけないやつ)
というようなもの。
気をつけていただきたいのは、慮サプレイヤーだからといっても、プレゼントをもらうこと自体は、好きだし、ありがたい!ということ。
わたしは、「欲しかったものをプレゼントされること」はうれしいし、上記の二例のように「サプライズ」でも、うれしい場合もある。ということ。
西野さんも、ファンからのプレゼントはだいたいは断るけど、極まれに、もらうこともあるんだよね。
こういう“イレギュラー性”が、とても難しいなと。
いま、自分の「欲しいモノ」は、わかるからリスト化できるけれども、後者の「何が、自分にとってうれしいサプライズプレゼントになるか」は、もらう瞬間がくるまでわからない。
「まだもらっていないモノ」に、対処のしようがない・・・
これに対し、なにかできるとすれば「サプライズが自分にヒットする確率」を言えるくらいかな?
例えば、「1/1」だったら、サプライズOK。
「1/30」と書かれていたら、「この人にはサプライズはやめて、欲しいもの聞いたほうがいいかな。」とか。
その辺りが、むずかしいなぁ(><)と。
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昨日、ある人が、「いらないサプライズプレゼントなんて、もらったことがないです。」と、いっていた。
世の中には、「もらえうるものは、全部うれしい」という人種が存在する。
「だから困ったことがない」と。
その人たちには「慮サプレ」はヒットしないので、そこにはアプローチしないと決めている。
でも結局、慮サプレを苦しめているのは、
「もらえうるものは、全部うれしい」派からの、一方的なプレゼントだ。
「サプライズはうれしい派」が人口の6~7割のマジョリティ。
西野さんや私のように「困る派」は少数で、理解されないことが多い。
この問題を解決するには、対極(マジョリティ側)にアプローチしないといけないのに、その概念を理解できない層に、どうやって届けたらいいんだろう・・・
ということを、朝から悩み始めて止まらない、今日この頃です。